岡山市 倉敷市 おがた歯科クリニック
おがた歯科クリニック

《院長紹介》

思春期のこと
中学時代(あの星野仙一監督の後輩です)は吹奏楽部に入ってトランペットを吹いていました。当時は自分なりにかなりはまっていて、練習も1日も休まず頑張っていました。ところが、他の部員は私ほど熱血(多分はた迷惑だったと思います)ではなかったみたいで、吹奏楽コンクールの後など誰も練習に来ないんですね。ある日一人で寂しく練習していると、顧問の先生がやって来て「緒方君は本当にこの部が好きなんじゃな-」とおっしゃったことがありました。不覚にも思わず涙が出そうでした。
高校時代は何故か「体育会系に入ろう!」と思いバスケットボール部に入りました。ところが練習がかなりキツく、運動神経が決していいとは言えない私はついて行くのが精一杯でした。根が真面目なので練習を休んだことはほとんどありませんでしたが、なかなかレギュラーにはなれませんでした。ですから試合ではベンチを暖めることが多かったのですが、試合中は一生懸命応援の声を出すよう頑張っていました(でもちょっぴりさみしかったです)。ただこのときの猛練習のおかげで、現在の体力の基礎が出来、いま元気いっぱい頑張れるのもそのおかげだと感謝しています。

大学時代のこと
私は不謹慎にも「大学に入ったら遊びまくるぞ-」と思っていました。それまで学校と家の往復だけの生活だったので、青春を謳歌したい!と思っていたのでしょう。しかし、現実はごく普通のよくある大学生活でした。ただ、教養時代は授業はよくサボりました。サボるのがかっこいいと思っていたのかも知れません。おかげで、単位を落としそうになった科目があり、必死で追試をお願いに行った記憶があります。追試の勉強は大学受験より必死にやりました。いまだにその時の事が夢に出てくることがあります(笑)。
歯学部の専門課程はまるで専門学校のような過密なスケジュールで、とてもサボれるようなものではありませんでした。しかし、無難にカリキュラムをこなすというだけで、取り立てて熱心な学生ではありませんでした。
その罰が当たったのか、6年生の臨床実習の途中でアキレス腱を切ってあわや留年という事態になったことがあります。なんとギプスをしたまま松葉杖をついて診療することで、留年を回避することが出来ました。ただ、患者さんは皆本当にびっくりしていました。「どっちが患者か分からないですね-」と冗談を言ったりもしましたが、私としては必死でした。ただ、患者さんの目が「この先生大丈夫かな-」と言ってるようで、冷や汗モノでした。

麻酔科研修時代のこと
大学を卒業して、口腔外科という歯科と医科の挟間のような医局へ入局しました。そこで出会った先生から麻酔のセクションに誘われ、医学部麻酔科での研修をすることになったのです。そこで体験したものは、各科の医師たちの真剣な仕事ぶりと患者様に対する真摯な姿勢、素直に「すごい!」と思いました。気がつくと「あなたは麻酔には向いていない」と言われるほど、麻酔の研修そっちのけで、他科の医師の仕事ぶりばかり見ていました。
その頃から「オレは何のためにこの世に生まれてきたんだろう?」「オレが皆様に奉仕できる仕事は何だろう?」と言う事を真剣に考えるようになりました。そして、遅ればせながら、「俺は歯科医になるためにこの世に生まれてきたんだ!」「歯科を本気でやろう!」とようやく考えるようになったのです。
それともう一つ、強く感じたのが、医科と歯科の大きな溝でした。あれだけ優れた医師たちにおいても、歯科の知識があまりない、また歯科医も医科の知識を十分持っている人は少ない。「そうだ!医科と歯科の架け橋になろう!」そう強く心に誓いました。

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